ニュアンスを取り入れて新しい形をつくる。

ほんの数年前までは

「わたしはこれをやっています」

「これの専門家です」

が強かった。

いくつものことを同時に進行することというのは

悪く言えば

中途半端であり!

浮気性であり!?

器用貧乏!と言われていた。

 

でもほんの数年で

それが変わった気がする。

気がする。

じゃなくて本当にそのように。

 

もちろん

なんでもちょこちょこっとできて

器用貧乏になることもありえるし、

なんでもちょこちょこっと好きになって手を出して

浮気性というふうに片づけられてしまうことも世の中には、たくさんあるとは思う。

 

でもそれも程度の問題であり、 

「本人のどこまでやるか」、だけが大切だ。

好きでやっていることを、

どのようにそとに提供して

その提供が

人に喜ばれるものであることが

何よりも一番大事。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

でもなあ

最近は思うのです。

 

それは

「生き方の違いだけ」なのだろうと。

その生き方を表現していく。

その表現の方法は自由でかつ

活動も自由度が幅広くなった気がする。

 

そしてその自由を知った人はなんといったって

 

輝いている。

思考にがんじがらめになって笑顔が出ないような

または体の調子が悪くなるような場合よりも

 

ずっと幸せな人生になる可能性がある。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は10年前まではラテン・サルサしか歌っていなかったし

サルサイントラが本職であると言い切れるくらいの週間・月間活動量だったので

(本当はリトミック講師もずうっとやっているけどね)

もちろんそのように周囲にみられていたから、

 

急にファドを好きになって

歌い始めて

イントラ活動を減らし始めて

・・・・・そりゃ、いろいろあった。

離れていく人もいっぱいいたけど

残ってくれた人はいまでもそばにいてくれている。

とあるアマゾン歴の長い、知人は

「誰が何を言ったとしても、俺はマチャコちゃんの生き方がいいと思う」と言ってくれ

とあるブラジルのサンバ歴が長い方は

「まだまだほかにもやれることがあるんだから、もっとやりなさい」

と励ましてくれた。

 

けれど自分の中ではわかっていた。

それは

「サルサでやれることは10年でやれるだけやったんだ」ということ。

キューバンダンスの中にはいろいろな種類があるけど

それを「その当時にいた生徒さんたち」には、ほぼ伝えきれていたように思える。

むしろもう。

 

私から離れて、別の先生ニュアンスや教え方を取り入れたほうがいいのでは?と

生徒を見てて感じたりもしていた。私自身がキューバではいろいろな先生に習ったし

いろいろな人から取り入れたことが多いから。

もちろんそれを全部自分が持っているけど、

 

ダンスを作り上げるためには、一人の人からすべては学べないと思っている。

 

だからやり切った感が強かったし、

今は、また1から新しい生徒に教えるのも楽しいし、

サルサをただサルサ好きだけで楽しむという部分も変えたいので

環境を変えている。

 

私は私で、2007年に本当にファドが好きになったし、2008年にポルトガルに一人で行けたのは

「キューバに10回いったマイルがあったおかげ」であるからキューバに感謝はつきない。

しかし

翌年2009年にはサンバ(浅草サンバカーニバルのようなものと違う、珠玉のサンバといわれるような

静かなサンバです)にうっかり出会って、パウリーニョダヴィオラとマリザモンチのDUOみたいなことも

したくなっていた。

つまりはこういうこと。(これはショーロですが)

もうサルサからは遠い世界だ。

それでも今でも好きなバンドをみるために関西に通ったりして

自分なりのサルサ熱は冷めていない。

 

その翌年2010年には

若いころ(22歳くらい)やってみてあきらめたフラメンコに再度、歌でチャレンジしてみようと思えたり。

これはうまく例えるならばだけど

1っか月にみっちみみっちりやっていたレッスンやイベントを少しずつやめていったところに

ぐいぐいと新しいものが見つかって入ってきたという感じなのだ。

つまり

 

新しいものに手を出した~~~~!というよりも。

ファドを始めることによって

サルサの活動を抑えざるを得なくなった分のところに

新しい魅力的なものが「こんにちは」とやってきてくれたという感覚。

 

私のファドの活動は、だからこういった新しいことの出会いから

得た感覚がニュアンスとなって多く入り込んでいる。

 

私はファドのもともとの形である、編成・スタンダードな曲・歌

などが大好きなのだが、

自分の好き。という気持ちだけでここ日本ではやりたいくないだけなので、

自分のその辺の欲望を満たすためには、なんとか毎年現地に行くようにするという

ことで、現地のファドを私自身が浴びるということで、よいと思っている。

 

その浴びてきたものを、

日本ではニュアンスとして出すけれど、

より、面白いと思える(日本人が見て)ものに

作ってしていきたいという気持ちが今は強い。

 

もちろんそれが邪道であるという意見もある。

そういいたいのもわかる。

 

けれど、実際わたしがリスボンで見たものや、

今のファドの展開を見ていると

私自身が、新しいファドが好きだし、

笑顔で歌いあげている歌手が好きだし、

一人のアーティストとして立っていて自分をプロデュースできる

歌手にあこがれるし、

なんといっても

どんな音楽でも

お客さんと本当に一体になっている姿というのは

 

どんな音楽がどんなスタイルでやったって

やっぱり絵になる。

それができているファドの世界は素晴らしいと感じる。

 

昨日は地元のお祭りで

経堂祭り サンバ・阿波踊り

という出し物を偶然に見ていた。

サルサの生徒さんが一緒で、彼女はこの地に住んで長いのに

初めてサンバも阿波踊りもみたのだそうだ。

経堂の町全体が一体になって

サンバを一緒に楽しみ、阿波踊りを微笑みながら見守る。

 

しかしこの2つの文化は

阿波踊りは東京のものではないし

サンバはブラジルのものである。

 

まったく世田谷・東京のものではない。

 

それなのに、こんなに私たち日本人はそれを受け入れて

楽しめているのが事実じゃないか。

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ここでこれを見たから

浅草サンバに行く人も出てくるだろうし

本場のブラジルに行ってみようという人もいるだろう。

 

だけど出会ったなかったらそのきっかけはつかめない。

 

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色とりどりの羽をつけたサンバダンサーも美しいけれど

隊列の最後に明らかにサンバではない一人のダンサーが独自の踊りを展開しながらサンバ隊についていってた。

その男性の踊りを見る周囲の男性たちの目は、

華やかなサンバダンサーを見る目とは違い、真剣そのものだったりする。。。

 

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サンバの練り歩きのあとに

「だから踊りはやめられない~~~」と歌い踊る少女たちの瞳は輝いていた。

肌の色の黒い女の子も混じっていた。

 

日本人はなんでも海外の文化を自分たちの色に変えてしまう、という意見ももちろん

あるけれど、

考え方を変えてみたらどうだろう?

 

私たちも、この日本も

さまざまな文化を取り入れる性質だからこそ

こうして世界中ものに出会うことができるのだ。と。

 

ファドでもそれをやっていくだけだ。

まずは知ってもらう。

 

このことの重要さをもっと考えていくべきだと私は思う。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

asaimasako

MACHAKO(浅井雅子)です。ポルトガルの大衆音楽ファド(FADO)を歌っています。 行動力と溢れ出るパワーで生きています。フラメンコ・サンバ・サルサも大好きです。ギターとパーカッション命。好奇心いっぱいに生きてます。