人間みんな歌い方に癖があると思います。
特に声の出し方に癖があり、
伸ばす音が必ず最後まで同じ音で出ず音程が揺れてしまったり、
明らかに何を歌っても同じように聞こえてしまうようだったり、
一番初めの音程がどうしてもオフキー(原曲より低め)で出てしまったり、
それはもう
数え上げたらきりがありません。
そういう癖自体がファドを歌うとよくわかります。
自分自身でわかるようになってきます。
なぜならごまかしのきかないマイクの無い
生の声の歌唱にはさまざまな気づきを与えてもらえるからです。
そんなわたしですが、リスボンで一番感動した女性歌手はだれかと言われたら
アナマリアという黒人の女性ファド歌手の発する言葉の深み
と
レニータジェンティルのステージングと歌唱のパワーです。
ファディスタも完璧なのかと言ったら
人間ですから、聞いて好き嫌いはございます。
ただしこの二人においては
「体全部で自分のファドを表現していた点」では
ほかに類を見ない歌唱スタイルでした。
今の若いファド歌手の歌唱法は、現代の様々な音楽の
影響を感じます。
美しく迫力もあり、音楽性の高いパフォーマンスは
今のリスボンで出会うことが可能です。
それはそれは素晴らしいものですよ。
ただし2009年のこの二人との出会いがなかったら
私はファドにここまで惹かれたでしょうか。
アナマリアとの出会いは2009年でした。
とあるファドヴァディオにギターさんの紹介でたった一人で
グラサ(アルファマよりずっと上の方の街)に向かったわたし。
深夜0時過ぎに日本人ファディスタと紹介されて3曲を70人は、
そこに人々がいたと思う会場で、
歌い、となりにいたおばあさん達が驚きで、終わった後に
抱きついてくる勢いでわたしを囲み、
緊張のまま舞台を降りると
彼女は、次に歌ったのです。
わたしの愛する船乗り「MEU AMOR MARINHEIRO 」
そしてアンコールが続き5曲を歌いました。
その日のゲストとして呼ばれていたのですね、
黒人で体格のいい彼女は
見た目はファド歌手というイメージとは
かけ離れていました。
ところがその一声を聞いたら
その場がまるで何かに覆われたような、、、、、
大きな深い
愛情を感じたのです。
澄み切ったストレートな声。
癖のない自由自在で余裕のある声。
伸びやかな表現。
ステキな自然な笑顔。
私は、これだ。と思いました。
天使のような聖母のような温かさも感じました。
とにかく一本調子ではありませんでした。
次も聞きたくなるようなまっすぐな無垢な声でした。
シレンシオと呼ばれる静寂の空間がありました。
声と楽器だけがそこにあって
空気を揺らしていました。
わたしが感動のあまり、素晴らしい、と声をかけに行くと
「何を言ってるの。わたしはあなたに本当に驚きました!」と
笑って抱きしめてくれた。。
その時に会場に来た静寂を本当にもう一度あじわいたいと
願って行った2012年
彼女の死を知りました。
今ここにあるものは奇跡なのです。
出会えたからの今わたしは歌えていると言えます。
彼女のことはいつも
アルファマに行くたびに思い出します。
そしてその日を頭に描いてサウダーデがやって来ます。
彼女によって
マイクを通さないストレートボイスを浴びると、
本当に歌のパワーとは、地鳴りのようにしたから上がって
魂まで伝わって響くことを知りました。
日本で習うおでこから音を出せ。頭の上から出せ。。。。
ではありませんでした。
体全部から360度に発信していると思いました。
いいものはわかりやすく入ってきます。
そんな経験を、ストレートボイスに触れたら
誰でもできるんですよ。
マイクを使いエコーを効かせた音楽だけでは
掴めない声の唸りの原点。
その底辺が支えているから腹式呼吸も自然と身につくのですし、
その腹式呼吸を支えているのが
実は
ポルトガル語なのです。
次回ポルトガル語でファドを歌うことが腹式呼吸を伸ばすということに
ついて書いていきます。一曲トライするだけで
日本式では決して身につかない腹式呼吸の肝がわかりますよ😊
★今日のチャレンジ★
自分が知り得たかったファドにようやく出会えたと思った矢先に
永遠の別れが待っていました。
悲しいというよりは、はかないと感じました。
彼女の歌声が聴けるのはコンピレーションアルバムくらいです。。
しかしもしかしたら生前自主制作していたかもしれません。
また再び必要な時に、彼女からの光がさすような気がします。
コメントを残す