地声というのは地層

ファドが好きで憧れてポルトガルが好きで
取り組む方よりも、

「声をよくしたいから」

ファドも好きだし、やりたい!という方のほうが
間違いなく
「歌そのものが伸びる」というのが、
実際にそれをやってみた私には、わかります。

「ファドが歌いたい」
とかよりも
「声がよくなりたい」のほうが
より、
「いろいろな面で今までの自分と真正面から向き合う」
ことに取り組まないとならなくなるからですね。

 

ポルトガルへの憧れ ファドへの憧れ

とは違う

 

自分自身との、恐れずにいうならば

ある意味戦いを意味します。

 

戦いの反対を言うならば、

鼻歌やカラオケ(ヲンヲンなエコー使用)でも十分に歌を歌って幸せ。

ということは達成できます。

(カラオケで100点出すために日夜研究しているような場合除く)

 

でもファド、この戦いは「楽しめる」ものです♪

声を本気で変えていく。という作業は

一生もののマイク無しの強い声を手にれることができるから!!!

 

ファドを歌うっていうことは

鼻歌やカラオケ(ヲンヲンなエコー世界)ではすまない世界に

一歩足をいれるということになります。

 

それに一番大事なことを書いてしまいますが

「歌が好きだったら最後は人間ファドをやる」のだろうと今の私は

確信しています。ファドは歌そのもの、歌の元祖であると思うし、

それだけシンプルに強い声そのもので勝負できる音楽だから

「歌が好きならばファドをやりたくなる」のだと思うのです。

話を戻しますが、

今までの自分を変えるつもりでやらねばならない部分が出てきます。

実際、マイクを使わずに
声を響かせる(裏声の発声法ではありません)
というのは、
なかなか日本では体験したことのない地声の大きな世界です。

小さいころから必ずみなさんもやった
「合唱」の歌い方とは真逆です。

そこには、新しい発見もあれば
愕然とする真実もあるし、
自分と向き合うほどぶつかるものもあります。

マイクがないってこんなに大変なんだ・・・・と間違いなく、我々は知ります。

 

たった一人で。歌うということがファドの現実なのです。

 

亡くなられた
月田秀子さん(ファドの日本では第一人者の方です)は
生声の歌唱にこだわっておられたとのこと。

しかし彼女は亡くなる前の
長いご病気では全身が痛むような
ものを持っていました。

そうなってくると、生声を出して歌うということは、
おそらくですが、身を引きちぎる痛みを伴う可能性がっただろうと
私は推測します。

ポルトガル人の歌うファドや、
おとなりのスペインでのフラメンコの歌唱方法は、

実際は同じ呼吸法や、発声法を使っていると思います。

わたしは同時期に、スペインのグラナダで
一流のカンタオールに数日、発声を含めたカンテを
体験レッスンさせていただいたときに、

そのカンタオールは
「フラメンコとファドは同じ」
という見解でした。

曲にもよるかと思うのですが、
マイクがない世界になると、

声そのものの大きさ、深さ、高さ、
地声の迫力がないと到底支え切れないものが

どうしても出てくるのです。

全身で歌う

言葉にすればそれだけですが、
それが「基本」にないとならないからです。

全身を支えるものはなんでしょう。

それは声ではなくて

まずは「体」なんですね。

ですから体が資本。体が出来上がらないと

何曲も生声で歌うなんていうことは
ちょっと不可能になります。

なんども書くのですが

裏声ではありませんからね。「地声の響きを出す」ためです。

地声には
「地」という字があるとおり、

下から支えている力が必要なのです。

頭の上から出すのとは違います。(これは頭声発声といって、、、、もう、、、本当に違います)

 

またビブラートを使ったり、最終的には自分の歌い方に取り入れるのも

良いと思いますが、まずやらないといけないのは

そういうテクニックに逃げずに、響かせるということ。

 

特に低音の響きというものは、
ファドを歌うのに必須だと私が感じています。

深みや悲しみ、思い、つまりサウダーデは、低音がないと大きな思いすぎて
歌を支えられないからです。

そのスペインのカンタオールは

フラメンコのカンテがどうして座って声が出るかわかる?

と言って私に謎を解いてくれました。

その指導はわたしの全身をふるえさえ、
その後、私の歌は劇的に大きな変化をしました。

(その後、リスボンに戻ったとたんに大きなカーザデファドで何度も歌える機会が
たくさん出てきました)

一流の現地のプロのカンタオールであっても

前日本番があったら中、二日間は声を休めているそうです。

それくらい体力を必要とする発声法を用いているのですね。

あ、でも怖がらないでくださいね。

これは2ステージを本気でプロがマイクなしでやった場合です。

レッスンや、学びのときは、まずは一曲を丁寧にやるということから始まります。

一曲が、
二曲になり、
二曲が三曲になり、

そうやってどんどん声に力がついていく。

それが地声じゃないでしょうか?

ここまで読んで勘のいい方であれば気が付かれたと思いますが

つまり地声というのは、

重ねて重ねてできる地層のようなものです。

ファドが歌いたい。
ポルトガル語ができます。
哀愁の声に惹かれます。

最初はみなさんそうかもしれません。

でもそこには

幾重にも重なった地層のような発声方法があって
それがないと、

何曲も歌うのは難しく

さらに

聞いて納得させるまでにはなかなかいかないであろうということです。

今日はここまでですが

実はファドを歌う(に限らない)のには
個々に書いた「声」よりも

もっともっと大事なことがあります。

ポルトガルが好き
ファドにあこがれる

そこから入ったわけではない私ですが、(実は最初はまったくポルトガルに興味などなかった)

一曲のファドから伝わるものを得たから歌い始めました。
直感でしかなかったんですね。

「だからこそ」知りえるものがあります。

それは何だと思いますか??

私はそれがファドが私にくれた歌うことの最大の喜びだと思っています。

明日書きますね!

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ポルトガル大衆音楽ファドを歌い、南国の熱いキューバダンスを踊る。ラテン界のチャレンジャーMACHAKOこと、浅井雅子の日常をサウダーデいっぱいでお届けいたします。 長年にわたるキューバ・ポルトガル・スペイン滞在中の面白エピソードも満載です。皆様、是非ともこのメルマガでパワーチャージしてくださいね!

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ABOUTこの記事をかいた人

asaimasako

MACHAKO(浅井雅子)です。ポルトガルの大衆音楽ファド(FADO)を歌っています。 行動力と溢れ出るパワーで生きています。フラメンコ・サンバ・サルサも大好きです。ギターとパーカッション命。好奇心いっぱいに生きてます。