そこで悩み考え正論を白黒つけるよりも、もっとやったほうがいいことが別にある。

ここ最近の話題に上がったことを書いてみようと思う。

その一つはこれだ。

「音楽を新しく変えて演奏することは、よいのであろうか?」

「それはその国の人たちはどう思うのだろうか?」

「その国に負けないように追いつくように努力すべきではないのか?」

「日本の方法、日本人は自分の国に似合うように変えてしまうといわれがち」

「それは、母国のものではない。日本流」

さまざまな場所でさまざまな内容でこういうことは話題にあがるし、

それぞれの意見がある。

否定でも肯定もなく。

私は、この部分の話題についてはこう答えるようにしている。

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「自分が思うように歌って演奏してそうなったならそれが自分の自然な発信方法である。」

 

例えばファドについて考えてみる。

私は、ファドのアカペラとポルトガル旅行のトークライブという

「私一人でしかできないやり方」から

ギターとポルトガルギター

ピアノとポルトガルギター

さらにはそこに最近ではチェロを加え

以前は、尺八も加えたり、フラメンコギターも加えていた。

 

正統派の。リスボンのファドは確かにこうではない。

 

こうではないけれど私にはこのやり方に価値を感じている理由がある。

 

私は向こうでショー、そしてエンターテイメントのファドを

たくさん見てきた。

そこではパーカッション、うわものといわれるフルートやサックス

もちろんピアノもあり、

ファドの最初の形である

ファド歌手

ポルトガルギター

ヴィオラ

という編成以外にも多くの方法で舞台で演奏をしていく

ミュージシャンの姿を見た。

そして見た感想は自分自身がとっても楽しめ

最後まで飽きることはなかった。

毎回とっても楽しませてもらっている。

もちろんそのミュージシャン方はポルトガル人だし

ファドを深く理解したうえでそのようなエンタメを

やっているとも考えられる。

そしてそれはもちろん従来の昔からのファドのスタイルではないけれど

明らかに

「リスボンに住んでいる若者もお年寄りもみんなが集まって笑顔で楽しめるパフォーマンス」であった。

 

またそのあとに、従来のファドを聴きにいくと

また違った趣も感じられるものだ。

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自分の使命がなんであるかと時々考える。

私は

「とにかく楽しくまずは何かを人々に伝えたい」ということを常に考えている。

●●たるもの、こういう風に。という考えは否定しない。

ただ

わたしというキャラクターが一体なにをできるのか?

わたしがやって似合うことはなんだろうか?

人が私で楽しめることはなんだろうか?

と考えたときに、

その答えはしっかりと、ある。

 

だから最初に戻るのだけれど

「それは日本流のファドだよ」と言われても

「そうですよ」と普通に答えるのである。

そういうこともできたほうがいいと思うからだ。

 

日本語でなかったら伝わらない部分も確かにあるし

ポルトガル語だからこそ美しいものもある。

楽器が変われば新鮮にもなるし、

やはりもとの楽器のみでなかったら伝わらないものもあるだろう。

 

けれど、大事なことはそこだけじゃない。

「これでいいのか?それともこうなのか?」と悩むことじゃない。

一番よくないのは

そういう考えにとらわれて、

そのとらわれた思考の中で歌うこと。

 

こういうものだと決めてしまうこと。

「自分はこうでなくてはならない」と思い込むこと。

 

それは、きっと

こころや声を決して大きく伸ばさないから。

なぜならこころも声もそこで悩むことはなくもっともっと自由だから!!!

 

大きく長く遠く永遠に聞こえるような透き通ったまっすぐな響きや

深くしわがれたそして胎の奥底に響く低音や

 

そういうものは、

思考にすごく関係していると私は感じてる。

 

すべてをNOとは言わず。

でも自分がすべきこと。

似合うこと。

本当にやりたい表現を

ひたすらに目指す。

 

「ファドを伝える私」

も、せっかく日本でファドをやっているのだから、いいのだが

どちらかと言えば

自分に似合うのは

「私からファドをさまざまに楽しく知ってほしい」という

そっちの広がっていく方向だと思っている。

 

入り口はさまざまに用意されているほうがいい。

どの入り口から入っても最終的には本気で求めたら

自分がほしいところに必ず行ける!

私だって行けている。

それは人それぞれ。

そんな経験を私は語りたい。

 

なぜならそうやって続けているし

そうやって続けてきたことには、なにも迷いはなかった。

いや、たくさんここ以外の部分では迷ったし、悩んだ。

だけど

 

今は悩んでいないし迷っていない。これが答えだ。

 

好きなことは迷ったり悩んだりしたとしても

絶対に必ず続いていく。

それが本当にやりたいこと。

使命。

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やってはいけないことをわかったから。

自分が、そして自分の声が

いつでも自由に飛べるような心をもつための

努力だけをしたいと思っている。

それはたくさんの人に会うことや

新しい意見を知ったり、

ほうぼうから新しい刺激を受けて

どんどん自分をさらに自由にさせる方向に向かわせていく。

 

思考が大事。

なぜなら

私自身は遠く彼方に延々と伸びていくような

まっすぐな声の歌手が好きだから。

深く地底まで潜るような臓器をつかみ取られるような

声の歌手が好きだから。

そういう人は見ているところが違うとわかる。

 

その広い範囲を考えても

恐ろしく自由な大きな思想や発想から

その声が出ていると私は感じるから。

 

パワーは

そうしないと育たないから。

だから

 

自由でいること。

受け入れること。

その中で

 

自分はこうするのが自然!と思える形で

楽しく広がるように

私の声でまっすぐな気持ち一つで

ファドをずうっと歌えたらいいと思っています。

 

 

 

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ポルトガル大衆音楽ファドを歌い、南国の熱いキューバダンスを踊る。ラテン界のチャレンジャーMACHAKOからの皆様への声とココロとカラダに役立つ情報をお届けしています!

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ABOUTこの記事をかいた人

asaimasako

MACHAKO(浅井雅子)です。ポルトガルの大衆音楽ファド(FADO)を歌っています。 行動力と溢れ出るパワーで生きています。フラメンコ・サンバ・サルサも大好きです。ギターとパーカッション命。好奇心いっぱいに生きてます。