人生の十八番を歌いあげよう! 第3夜 「根本治療を見つめる。それが正しいボイストレーニング」

 

日本では、まず始めに小学校などの
音楽の時間に歌うとしたら
合唱を教えられます。

合唱は団体での迫力ある歌唱で、歌を作り上げるため
ソプラノ、アルトなどに声の高低で分けられ自分のパートを
乱れずに歌うことが重要視されています。

私は小さい頃から合唱が苦手で、できればやりたくないなあと
思っていました。小さい時からハスキーな声だったので
ソプラノは一度も担当していません。

必ずアルト担当。それはいいのですが、

なぜみんなで同じ歌を同じような声で歌わないとならないのか。
が子供ながらに疑問だったためです。

その疑問は中3のときにマックス。

伴奏のピアノに担当を変えてもらいました。
(うちのクラスは音楽の先生が担任だったので、その先生が弾けばよかったんですけどね)

一人一人の個性というものがあまり生きない合唱という
システムに私の歌へのなにかが反応しなかったんですね。
わたしにとってはそうであって、たのしんでいるみんなのことは
ピアノで必死に応援していました。

さて


それとは真逆に
ファドというのは、
「歌手がたった一人で生声でマイクもなく歌い上げる」

いわば、
自分をさらけ出して
生きていくようなある意味
「鎧を持たない戦場」とも言えます。

たった1つの声の個性が勝負です。

わたしはそれまで
高音を裏声にしたり、
きつかったらキーを下げるなどのことをして
サルサを歌っていたにもかかわらず、
声帯結節を何度も発症していました。

ボイストレーニングも数人の先生について
名医と言われる医者にも、かかりましたが

「君の喉は弱すぎて話にならない!」
という酷い言葉も言われたことがあります。

「そんな声なら歌手なんてやめたほうがいい」とかね。

今考えてみたらパワハラ的な先生もいましたね。

結節になった後にすぐに手術を勧めてきたり、
3ヶ月一言も話すなと言われたり(無理)

今考えてみるとそれぞれ色々なことを治療のために言われましたが

誰一人

「正しい発声法ではないから発声を考えましょう。」
という流れで
ボイトレの紹介やその他の

「深い根っこの部分の治療を勧めて来る医者はいなかった」んです。

 

ボイストレーニングも、頭声発声を勧められ、これなら壊さないと言われたのですが、

わたしは、歌でどうしても伝えたい表現は強い声だったので、そこには逃げたくありませんでした。

 

今のわたしだったら
悩む人がいたら、躊躇なく

「自分が楽に大きな声で歌えるように、しっかりと
声をつくりましょう!」というと思いますが。。。

現に、声は年々出なくなるということを
ボーカリストさんから、また世間から聞く中で

わたしはファドを歌うことによって
音域はどんどん広がり、地声で高い音も今の方が若い頃より
ずうっと自然に出るようになったのですから。

声に悩む方々に、この方法を勧めたくない訳が無いのです。

そう、ストレートボイスを身につけることは
楽に高音を裏声ではなく、体から真っ直ぐに聞こえるように
出せるし、

マイクを使うときも
腹式呼吸が完璧なので
余裕のある表現が様々に可能になるのです。

まさにファド歌手としてやってきたことが

声の変化をもたらす「そのもの」だったのです。

(続く

次回は、リスボンで出会ったこれぞファドという
生声についてです。
彼女らはおかしな鼻にかかった声や裏声とわかるような
ことを「絶対に」しません。
この音から裏声になる。というスイッチ的な歌唱をしていると
本当にサウダーデが逃げていきます。


★今日のチャレンジ★
なんでもそうですが、壁にぶち当たってぶち当たりまくったとき
本当の答えも助けも出て来るものですが
わたしにとってはファドこそは救世主。
自分の中での声の天使が降りてきたのです。

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

asaimasako

MACHAKO(浅井雅子)です。ポルトガルの大衆音楽ファド(FADO)を歌っています。 行動力と溢れ出るパワーで生きています。フラメンコ・サンバ・サルサも大好きです。ギターとパーカッション命。好奇心いっぱいに生きてます。