幼稚園教諭からフリーのリトミック&ダンス講師になった理由

30年間幼児教育に関わって生きてきました。
去年、リトミック講師を一時退職しましたが
今までおそらくですが何千人というお子さんと関わってきました。

注)マチャコは18歳から20歳まで保育科で勉強
20〜24歳まで幼稚園教諭勤務
その後もずっとリトミック講師やジュニアダンスの講師を昼間休まずに続けて
夜のミュージシャンやダンス活動で
生活していました。

 

私も最初の頃はどうやって子供たちに
関われば良いか分からず、たくさんの失敗を重ねました。
若い頃は
保護者から注意を受けたこともあります。

しかし

ダンスと歌の指導においては
間違いない高評価をいただける教諭でした。

なぜならわたしが
「歌や踊りが好きで、幼稚園の教諭になったから」です。
もちろん工作も大好きで、幼稚園でやることの内容は
わたし自身が大好きだったからやっていました。
先生が好きなことは伝染します。
私の担当クラスの子供たちはみんな歌もお遊戯もリトミックも
とっても上手でした。

が、好きだけでは勤められないと働き始めて知り、
つまり幼稚園教諭は

教えるだけがメイン仕事ではなくて

毎日の園内の様々な掃除
バス循環の添乗
飼っている動物の世話
延長保育


わたしには「苦手とする分野」の「それ以外」の雑務の方が実際には、多かったんです。

これらは幼児に関わる時間、翌日の準備の時間以外に

余裕があるのでしたらまた別です。

しかし、子供がまだいる時間に多くの掃除や

長時間のバスの添乗など、

子供の命を守ることが大事だと思うのに、目を離していなければならないことや、

幼児教育以外の体力を多く使う添乗は、

本来の仕事に影響が出るから嫌でした。


まさかこれらを
先生がやって当たり前と思っている方がいるとしたら

「やってみてください」
と言いたいくらいの激務でした。

簡単に言うと、幼児と関わる時間は朝から午後まで

先生は
トイレにもいけませんし
お昼ご飯も、ほとんど食べる余裕はありません。

朝7:00に出勤し
夕方17:00までほとんど

座れずに業務を行い、そして
その後も残業があります。

その状況に自分がやりたいことではない。と思い、

教諭活動をしながら夜22:00過ぎまでダンスを勉強に

渋谷のダンススタジオに通い、ダンスの技術を高めて
わたしは自分が得意とする
好きな工作、音楽、ダンス

のみを教えたいからリトミック講師、ダンス講師をフリーで始めたのです。

 

朝5:00には起きて出勤していたので

夜のダンスレッスンは、厳しいものでしたが

夢があったから必死に頑張ったと思います。

好きなことに絞った結果、独立もしましたし、
一人暮らしもできました。

いつまでも苦手な
多くの場所の掃除
バスの乗車降車担当
居残り保育
休み時間は朝出勤後、午後5時までゼロ。


をしたくはなく。

そして何より

残業代ゼロシステム。
に縛られず、

自分のスケジュールを自分で組み立て進めていける
フリーランスのリトミックインストラクター、ダンス講師になってよかったと思います。

ただし、いつまでも時代が変わらないわけではなく、
今は、リトミックなどは以前よりは人気も落ちましたし、
お母さんの求めるお教室のシステムも変わりました。

私たちも変わる必要があります。

私は、子供に教えるという視点から
これから増えていく、大人の方々に向けた
音楽、ダンスを提供する立場に絞って活動すると決めました。

しかし

要望があれば今でもいつでも
「リトミックを教える能力は得ています」し、
「今後いつでも求められたら行える材料」もあります。

好きを活かす方法はいっぱいあります。
そして好きで続けたことはいつだって
自分の宝物です。

たくさんの子供と触れ合う中で
私が最終的に目指した先生像があります。

それは

正しいんじゃない
ちゃんとしているのではない
見本になるような大人でもない

ひたすら

素直で、感情を正直に表現する
何をするかわからない
マチャコ先生。でした。

ちょっとこの人から目が離せないぞ。

という面白さを追求していました。

結果、毎回のレッスンでほとんどのお子様が
「全ての内容を最後までちゃんと参加する」ようになりました。

20歳の頃、クラスをまとめるのにひいひいしていた
わたしからしたら格段の進歩なのでした。

子供は正直です。

面白そうなことしか興味がないのです。

わたしも面白そうなことしか
しないとレッスンでは決めています。

そこがバッチリとリンクしたと思います。

若い頃は先生として
責任、使命、命を預かっているという状態が
わたしを支配していました。頭も硬かったです。

教えることを楽しんでいたのは
音楽とダンスの時だけ。

好きなことに絞れば、いくらでも
こうして、子供にとっても
興味深い人でいられるのです。

私は今でも
幼稚園の掃除やバスの添乗は

先生ではない人がやり、先生は
クラスの状態のことだけを考える仕事であるべきと思うのはそこです。

雑務に心を奪われず
好きな仕事をしっかりと考える時間を
先生に与えていただけなければ
想像力を作る時期のお子さんにも本当はいい影響はないと
思うくらいです。

当たり前に先生方はそのような雑務をやっているの年月が経っても
変わりがないかもしれません。
奉仕の精神が強い方が保育者に向いているという
勝手な思い込みもありますしね。


しかし、この現状をここまで読んで、
どう思いますか?

★今日のチャレンジ★
本来の仕事内容は、お子さんに夢を与える
教育だと思います。

わたしは夢のみ特化したリトミック講師に転職しましたが、
未だに幼稚園ではおそらく雑務に追われる先生たちが
在籍しているんでしょう。

考えるといたたまれない気持ちです。
本来の仕事に余裕持って取り組んで行くために
大切なことを考えたら、そんなに教諭自身が
忙しいのが本当の意味で教育に
良いわけがありませんよね。

幼児教育は楽しい。ものであるべきです。

正しいものであるのは、
楽しさが
きちんとそこにあってのことです。

子どもたちは幼児に向き合う以外に忙しくて余裕がない

先生を見ていたいとは思いませんし、そもそも大人数を一人で見ることさえ大変ななか、雑務が加わる

という現状は、過酷すぎます。

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ABOUTこの記事をかいた人

asaimasako

MACHAKO(浅井雅子)です。ポルトガルの大衆音楽ファド(FADO)を歌っています。 行動力と溢れ出るパワーで生きています。フラメンコ・サンバ・サルサも大好きです。ギターとパーカッション命。好奇心いっぱいに生きてます。