自分自身を好きなことが必ず周りを幸せにする。

自分自身を好きでいることが、人を幸せにする。


「あなたの為を思ってやってあげたのに!」という言葉を使って
話をしてくる人が
決して対象者の為などではなく

その裏側にあるのは

「言っている本人の為だったことしかないなあ」と学生のときから
感じていました。

あなたのために、ってまあ、随分便利な
「自己防衛の言葉」だなあって。

この発言に出会うたびに
よっぽど

「私が困るから!あなたに私のためにも、こうしてほしいんだけど」
の方がよっぽど、まだ正直でよろしいのに、、と

正直者のわたくし、思っていました。


「全く君のこう言う発言も態度も
俺にとっては迷惑なんだよね!言わないで。頼むから、俺が困るから!」
って言われたら

そこで、こちらは、付き合い方を判断しますし、

考えられます。


でも。本当に相手を思ってる場合。

こんな上からの言葉言うより前に
行動や言葉で
先にこちらには、伝わっていることが、実は多いです。

つまり

「私のためを思ってやってくれたんだーー」
「ありがたい、お返ししたいなあ」

っていうのが
「先に伝わっている」のが、基本
コミュニケーションとして、正しいと思うし

言葉がどうとか態度がどうとかいう以前に

もう伝わっている=在り方

伝わってないことを
わざわざ言うこと自体が

自分のためであり
承認欲求なのです。
さらには

「ありがとうと言え」とか
「謝れ」
「言葉が少ない、気持ちが見えない」
とか、欲求してくる人まで存在します!

ここまでくると、

とても
可哀想になります。

そんなに、無理やりに、求めてまでも
あなたは人から感謝されたいのですか?と。。。。

幸せじゃないんだなあ、、っと思えてしまうからです。


でも最近はまた違うパターンを発見!

それは
「自分の思うように動いてくれて、幸せになることしか、対象者の幸せ度合いを決して認めない」パターン。

こっちが幸せそうであるほど、
どこか状況にマイナス面をしつこく見つけて、
「幸せにはなれない」「それは認めない」とたくさん、突いてくる。

なぜそこまで?
なぜ他人を支配したいのか?

もはや

「謎」でしかありません。。。。

愛情って
依存とか、支配とかと
密接に繋がっているとは思いますが。。


相手が相手らしく生き
真実、信念持って自ら行動していけるなら
それが一番だし、余計な口出ししないことが
本当の愛情に感じます。

「言ったことをやってるかどうか」
だけを裏でしっかり見守っていく立場です。

「私の言う通りにすれば成功できる」
「こっちの言うことが正しい」

ではなくて

選ぶのは「本人にしか」「本人の心でしか」
できない。

本人が選んだら、
それを見守り

もし失敗した時も
受け止める。

そして、

「あなたのために」ではなく。
うまくいく可能性がある情報を
事前に負担なく与えていく。
(あくまで選ぶのは本人が良い)

そして黙って動く。


上手くいかなかった時に見えるんでしょうね。

ほーら言う通りにしないから、と言う人か

黙って受け止めて、失敗理由は「本人がわかっているのかどうか」
を聞くことに抑える。人なのか、とか

まあ、つまり、
 

「上手くいった時は、そう言う人ほどこちらには
何も、いい言葉は言えなくなります」よ。


しかし、本当にあなたを応援したり幸せになって欲しい人だったら
手放しで、あなたのやったことを
「一緒に嬉しがるはず」です。

まず最初に報告してほしいとまで思って

一緒に嬉しがるでしょう。


とにかく大事なことは

「求められたら答える」「余計なことは言わない」

「短文で伝えられる」「影では、本気で動いてくれている」

ここが、できる人が

「相手のためを思う底辺」がある人だと思うようになりました。

皆さんもちろん意見が違うかもしれませんが

長くいい関係を続けるには、見守るということが
とても大事なことかなと思っています。

与えてるつもりが
全くそうじゃないことが多いなあと思うんです。

相手はそんなに、別に要らない。って思うから

距離をとっていくんです。←黙って離れたらいいんですよ。

 

自己承認欲求が強い方は、与えてるつもりで実は奪っていきます。


距離を置く時にあからさまに口にします。←相手に気にして欲しいからです。
そうやって相手を
奪っている自分にはフォーカスは全然なさそうです。


強い自分自身の心を作って、

良いコミュニケーションを
築いて、続けていきたいですね。

気持ちが高い人、つまり
余裕があって自分自身が好きな人

と一緒にいる方が、

生きるのが楽になれるし
素直に過ごせる

注意していてもいつ、
自分を認めない領域に自分自身が陥るかなどわかりません。

けれど、それも振り回されることなく、やれる方法はあります。

「自分自身を自分で満たすこと」が一番大切なことですね。

相手から満たされようとするからおかしくなってしまうんです。

ただし自分の心に正直にいるのがいいから、

我慢してまでやってくれないーーって満たしてくれないーーーって思うなら

 

離れたらいいんです!


そして自分を好きなもの同士、
いい情報与え合って、選んで過ごす。
見守られると心は、あったかくなる。
見守られている安心感で満ちる。

自分が好き!と言えるように
生きていたいです。

なぜなら

それが

周りを幸せにすることは
間違いが、ないからですね。

 

一度、自分の大切な人にとって

どう言う自分が一番相手を幸せにしているか考えてみるとわかってきます。

相手がいようといまいと

 

一人でいても幸せそうな人。が周りを幸せにします。

人の気持ちなど、わからないものです。

自分の思い通りになど、決してできないのです。

だからこそ尊いんです。

自分の尊い自分の気持ち。しっかりと育てるために、

見守る気持ちで自分にも相手にもいられたら良いですね。

 

ところで、自分自身を楽しくしてくのに

一番いいのってわたしにとってはやっぱりいい歌と踊りです。

だから、本当に続いているんだなあと思う。

これだけは、ずうっと自分を支えているから、

 

だからこそ、わたしの踊る、歌う姿を見守ってい続けてくれている

方々のことをとても大事に思います。

 

 

自分の大切にしているもの、そして人。全てに

やっぱり、自分はひとりでいてもとても楽しく幸せでご機嫌でいる姿で

パワーも幸せも

伝えていきたいと思います。

そんな歌や踊りにも

もっともっとなっていくと信じています。

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ポルトガル大衆音楽ファドを歌い、南国の熱いキューバダンスを踊る。ラテン界のチャレンジャーMACHAKOからの皆様への声とココロとカラダに役立つ情報をお届けしています!

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ABOUTこの記事をかいた人

asaimasako

MACHAKO(浅井雅子)です。ポルトガルの大衆音楽ファド(FADO)を歌っています。 行動力と溢れ出るパワーで生きています。フラメンコ・サンバ・サルサも大好きです。ギターとパーカッション命。好奇心いっぱいに生きてます。