自分を充電する。

 

「人と人は、わかりあえる」なんて簡単に言えない。

でもなぜかわかりあえる人も存在する。
その違いはどこから出てくるのだろうか。

わかってよわかってよ。と叫んでいる自分が
とても愚かだということはよくわかっている。
そんなに自分を訴えても、どうにもならず仕方がないと知っている。

それでもなぜ言わずにいられないのか。

お互いが受け止めていないからだ。自分のことに精一杯、それを伝えていれば相手にも
伝わると勘違いをしている。

大きな間違いなのに繰り返し続ける。電池の奪い合いが始まる。いつも

赤いランプが付いている。

 

 

また、そこまで言わなくてもなぜか済む人がいるのも事実。

言わなくても済む。又はちょっと言えば自分が自分でその状況を
納得できる人の共通点がある。

それはやっぱり

誰に対しても大きな心で向き合うことができる人である。

プライドもあるが捨てることもできる人である。

相手の心にスッと寄り添える人である。

相手を断定しない人である。

自分の弱さも見せられる人である。

こちらを受け止めてくれていると直感で感じられる人である。


本当に両者極端なことと言ったら、、、、、、

より多く自分の感情が振り幅大きく動く前者と関わると
本当にパワーが失われていく。どんどん自分が弱くなり
充電しても充電してもダメなのだ。

そして感情がむしろおさまって自分を見つめられる後者と関わると

コンセントを自在に使わせてくれる。


パワーがふつふつと丹田あたりに溜まってくるのを感じる。充電中のランプが見える。

どんな時でもそうだ。

このままの自分でいるわけにいかない。と
愚痴ったり、止まっている自分を自分自身で充電中にたしなめられる。

同じような発展しない会話を繰り返し繰り返して、
その場にいるだけの
成長しない関係にいたくはない。と

心から自分で成長したいと思える。

強さも弱さも含めて
成長する過程にはその時の、自分を認めていけば良くて、

それを黙って見守って時には笑い飛ばしていてくれたなら
確実にその暖かい心を知り、少しずつ己で成長できるものだ。

充電が終わるとそこまで回復する。

わたしはそうやって
変わっていく自分を感謝の心で見せていきたい。

こうやって助けてもらいながら、
最後は自分自身で変わろうとすることが自立だと思う。

立ち上がるまでは、どんな人であっても学びも助けも必要なのだから。

でもそれを押し付けられたくはない。

大人になっても幼児の時のように
人間は同じだ。

やれ、やれと言われて人がその通りにできるものか

好きで、自分から選んで動けることしか人はしないし
上達もしない。

速度を変えるのも自分だけだ。
しかし自分を自分で認める以外に、

相手に認めてもらえることはやっぱりエネルギー。

その認める部分でさえ、
「自分が認めている部分じゃないと嫌」だったりする。

だから結局は自分自身で肯定してない限りは
人への依存になってしまうのだ、と気がついた。

時間はかかっているけど
確実にわたしも進歩している。

 

わたしも充電させてあげられるように居たい。

少しでもこんなブログが
必要な方の心へ届くといいなと思っている。

 

心の充電器を満たしていたらもっとそうなれる気がする。

 

 

 

 

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ポルトガル大衆音楽ファドを歌い、南国の熱いキューバダンスを踊る。ラテン界のチャレンジャーMACHAKOからの皆様への声とココロとカラダに役立つ情報をお届けしています!

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ABOUTこの記事をかいた人

asaimasako

MACHAKO(浅井雅子)です。ポルトガルの大衆音楽ファド(FADO)を歌っています。 行動力と溢れ出るパワーで生きています。フラメンコ・サンバ・サルサも大好きです。ギターとパーカッション命。好奇心いっぱいに生きてます。