今日のタイトルすみません。
笑 「世界の中心で愛を叫ぶ」、、そ~んなロマンチックな話じゃあありません!
去年のことを思い出していました。
去年のポルトガルはたったの8日間。
すごく寒くってね~。
とにかく寒いし、なんだか咳は出るし
声もあんまりうまく出せない。
ポルトでは素敵な方々と再会もできて、うれしいファドもうたいました。
けれどリスボンに戻ったら寒い寒い。
そんな中でアルファマに歌いに行ったんです。
シーズンオフでお店もあんまりあいていなくて
ようやく入ったお店。
知り合いのファディスタがいたので、マチャコうたっていいということに
もう8度目のポルトガルです。
色々なこともしきたりもわかります。
もっと大きなお店でもたくさん歌ってきましたし
完全アウェイな場でも歌いました。
経験は、いろいろに重ねてきました。歌い歩いた店の数や
地方の都市で歌うことはわたし、本当にたった一人で
歌い重ね続けた自信があります。
でも、その日、
私はあんまりいいファドを歌えなかったのです。
自分ではまったく納得できなかったんです。
そのままロシオ広場の中心までいき
わたしが何をしたか
はい。
大泣きに泣きました。
「こんな歌を歌いにきたんじゃない」
「10年間もこんなファドをうたいたかったんじゃない」
それまで、ポルトガルで
今のは良い歌だった。ということも何回もあったので、
ここにきてまったくうまく歌えない自分にすごく腹が立ちました。
なんどもなんども
私、歌が下手になったんじゃないかと疑いをもつのはリスボンにいるとありました。
帰ってから録音きくとそんなことはない、
徐々に声も変わってきて低さも加わり、大きく、太くなってて、、、、
声そのものは本当に良くなっているんです。
なのに、その時は本当に
今生きてきて一番へたくそな私なのでは?
と思うくらいどっかりと落ち込むんです。
その日は、まさに運命のような一日で
そのあと、
とても嬉しいことが起き。
ファドへたくそな私最低イメージから
なんだか私今幸せかも最高イメージに
変化したので、
調子のいい私はすぐにこの日の夜の悲しい歌声について
忘れていました。
けれどね。こういうことが8度もポルトガルにいくと
何回も何回もあったんです。
基本独りぼっちで行くので、
誰にも悩みをこぼせないんで、
ひとりで毎日ひたすらに出口を探して悩むんですよ。
今日はどうなんだろう、今日こそ自分が納得して歌えるのだろうかって・・・・
これってね、
ものすごく孤独との闘いなんですよ。
それで傷心で日本に帰ってきたりもしますが、
しばらくたっていつも思う。
「あれ?わたしもしかして歌変わった?声良くなった?」
って
それでわかったんです。
私はリスボンに、自分を変えに毎回行ってるんだなって
だから一瞬
すごく下手になる。
その下手になったあとに
孤独になって考えて、それでも腰を上げて歌いに行く
その繰り返しが心をものすごく強くする。
あんな下手な自分がいたんだもん、今はもう大丈夫。
その繰り返しで10年きました。
去年わたしが下手になったなって思った後ですが
日本で本当に人生が変わるようなことがいろいろなことがありまして
今年になって、歌を聴いた方から
「まちゃこさん、本当に声変わったねえ、伸びが全然違うし、歌詞もすごくきれいに
聞こえるし、成長すごいわよ」
と感想をいただいたあと、ライブも企画してくださったんです。。。。。
嬉しかったですね。
そして去年のリスボンの中心で叫んでもう一年ですね。
私はこうして、毎年毎年自分を孤独に追いやっていきます。
そこから這い上がって少しずつ経験をもっと深みに考えていきます。
もちろんまだまだです。
でもね、下手だからって落ち込んでもうまくはならない。
下手な自分を受け入れて
こんな自分だもんもっともっと伸びしろがあるんだ!と信じて歌い続ける。
ファドにはそんな私を受け止める器がある。
その器の中で、こんな私がどんどん変わっていきました。
ファドをこれから歌う人にいいたいです。
ファドは難しいですよと。
だって自分に嘘がつけないし、
自分の声とここまで
向かい合う歌もないです。
生声で歌うのが基本ですしね。
そう。
ファドは頭声発声では歌えません。
これだけはきっぱり。
合唱のような声では歌えないんです。
「歌として」なら歌えます。きれいな頭声発声で。
でも
ファドはベースが「叫び」です。
あなたはさけぶとき、頭声発声をしますか?
嗚咽をするときに裏声になりますか?
もっといえば
感情が動くときに声をつくりますか?
違いますよね。
あなたのもってる普段の地声で出すでしょ。
ファドはサウダーデ、ポルトガル人がもつ28の感情を歌うのです。
感情は裏声、頭声発声では、ありません。
美しいだけの声では歌えないです。
地声、ストレートボイスでなかったら
心は伝わりません。
心があってテクニックがある。
心そのものは
嗚咽したあなたの気持ち、そのものの声。
絞りだして訴えたいこと。
楽しくて叫んじゃいそうなこと。
悔しくて唇をかみしめながら涙をこらえるときの息。
たくさんたくさん悩んで
たくさんたくさんどうにもならないことを経験し、
悩んで苦しんでそれでも歌いたい気持ち。
それを声に乗せているんです。
私は40歳の時に一度死んでいます。
(命の問題ではないのですが、心の一部のことです)
失った大きなものに気が付いて失意のどん底でファドに出会っています。
それから数々の経験をして、
失意のどん底からは今は、這い上がりました。
今年は新しい人生が待ってます。
それでもその当時のことは忘れたことはありません。
それでも歌っています。
なぜならファドが本当に好きだからです。
私はほかの音楽も歌うし、ダンサーでラテンダンスも教えます。
でもね、魂の職業はファド歌手だと思います。
それを覚悟とし、証明するために歌い続けます。
たくさんの孤独の時間がわたしにファド歌手になれよと、
導いてくれたと思うのです。
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