基礎力が足りないのに言い訳する人たち


時々自分はものすごい
計り知れないポジティブなのでは?
と思うことがあります。

なぜかっていうと
今まで習い事をしてきて
できないことがあっても
悩むことがなかったからです。

なぜできないのかって考えて、
思考停止にならないんです。

これは、
基礎を徹底してやり続けた成果とも言えます。

ダンスで言えば、
ランニングマンを合計したら24時間くらい分は
最低踏んでるという感じかな。


回転は毎日左右で、30回ずつ回るとか。


サルサだったら夜に一人で公園でステップ踏み続け
職質を受けるところまで。(実話

それでも。基礎をどんだけたくさんやっても。

「自分より多くのことを知っているとわかっている」から
その人に習ったり
真似たりする。憧れて近づこうとする。

ファドでは日本では到底学べない色々なことがあった。

なのでリスボンの女帝、レニータジェンティルに
直々に逢いに行き、
あなたの歌を歌いたいと直談判して、オファイアに通い、
オファイアで何度か歌わせて頂け、最高級のお店の実感を
得られたことで、今のモチベーションがあります。

 

そうでもしなきゃ

日本でどうやってモチベーション保てるのかって言うこと。

 

でも。

そんなの「当たり前」だし
日本じゃ
できないからやってるんだし

 

つまり

「今、私が色々ができないのは当然」と思って
能動的に学んでいます。

あと客観的に
自分に到底できない部分もわかるので
そこには、決してチャレンジしません。

たとえば

マライアキャリーみたいな声になるぞ、とか
足を頭まで上げてV字バランスとか、

ですね

でも、
「今の自分ができないのなんて当然」と思ってないような
方もいるので時々、驚きます。
割といらっしゃいます。。。

ええーーーーあなた、
「できないからやってるんじゃあないの?」

まさか、

「今、できるとでも思ってるの?」

わたしはなんでできないんだ!って
ただその現場の状況に悩むのに時間を取られていて
そんなことに落ち込み、心も奪われていても

全く、何にも先に進まないのに。。。

余計なことを悩んで、
色々余力も減らしてしまうようで
見ていると勿体無いなあって感じます。

 

やれよって思います。

できないからこそ、楽しめるのに。
楽しめなくなったら
学ぶ意味はなくなってしまうと思うのです。

できない自分も楽しむしかないって気づくと、
スコーンっと抜けることがあって、

そこでやり方、学び方を
発見できてきます。

そういう時、自分だけの抜け道が見えてきて
よかったーーー進んだーーって実感が来る。

割とそれが毎回あるくらいじゃないと
やってる意味は、
ないんじゃないですかね。。。。

ちょっとの発見が大きな進歩。

ハマってしまうパターンがあるので
それを自分で発見することが脱出できるという鍵。

なかなかそこまで指摘してくれる先生もいないけど

わたしはキューバダンスでそれができる先生についたことで
そこを知ることができました。
キューバのダンス学校の創始者の方で
教えるのが天才的でした。

ファドも、女帝レニータジェンティルから
小さい店で歌ってたら得られないことがあるのよ!と
怒られました。

河内音頭も一平師匠から、
ちょっと書けないけど、
えーーーーーって思う目標も持たせてもらってます。

だからね、

注意されることはとっても素晴らしいことですよ。

それと基礎力の徹底です。

自分より優れた人は、自分より
遥か遥かに沢山の

自分のやっていない
基礎力に費やした時間があるんです。

それもやってないのに

できない?って言える?

私が書きたいこと、伝わっていただけると嬉しい

基礎が大事っていう気持ちは色々に自分を建てていると思うのです。

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ABOUTこの記事をかいた人

asaimasako

MACHAKO(浅井雅子)です。ポルトガルの大衆音楽ファド(FADO)を歌っています。 行動力と溢れ出るパワーで生きています。フラメンコ・サンバ・サルサも大好きです。ギターとパーカッション命。好奇心いっぱいに生きてます。