あの日の奇跡

2年半前に

「人の痛みはわからない」と言われたときに

「なんて冷たいこと言うんだろう」と思った私だが

今やそれが

本当だなと思えるようにようやくなった。

 

確かに痛みも悲しみも自分以外

「本当はどうなのか」なんて想像でしかわからない。

 

でもそれを「できれば私も理解したい」と

自分が心から心底に思ったらなら、

 

人としては、一歩大きな

進歩じゃないのかな。。。。

 

それともそれは

境界線を越えているだけなんだろうか。

 

「境界線なんて越えようが越えていなかろうが

いいんですよ。あまり深く考えるのをやめた方が、あなたは行動できる人だ。」

 

と言ってくれた人の言葉が

今大きく迫ってきてる。

 

そして境界線を越えるために動いた

とある人の勇気と行動力に

今更、

驚いて、泣いている。

 

ああ、どうにもならないことを

乗り越えるっていうのは

つまり勇気であり、自分を動かす力。

 

こういうことなんだなと。

 

理解が遅い自分でも

相手の決意が

わかるには時間がかかったものだ。

 

時々、ファドのことを考えながら

今までファドで起きた色々な出会いを考えながら

 

ああ、やっぱり

 

ファドが繋いでいくものが

最初はあんな辛かったことだったのに

今は、新しい境地にようやくようやく

光が見えて私はファドに近づいて

きたんだなと思えるようになった。

 

また、

それを確かめにポルトガルに行きたいと

思うようになった。

 

あの時うまく歌えずに

泣いてしまった、私も、

 

三月で全く人のいなかった寂しいリスボンも

 

雨ばっかりで毎日が寒くって

震えていた夜も、

 

それでも翌日になったら

綺麗に輝いてた石畳も。

 

すべてが懐かしい。

 

深夜に事情があって帰れなくなって

どこにも戻れず

流されてしまった人を受け入れてくれた

ホテルのおじさんの私への大きな信頼も。

 

「マチャコのことを信用している」

という

一言があって得られた時間も

 

私は、ロシオ広場の中心で

泣いて、頼って、本当の自分を見つけ

また次のあさが来た。

 

何回も泣いたけど

あの日がきっと

 

またファドを歌おうって改めて思った夜だったんだな。

と思い出してる。

 

ギリギリのところで救われているのは

やっぱりファドを歌ってきているからだと思う。

 

自分らしく歌う方向もそうやって体当たりで

見つけ出してきたのは

 

いろんなポルトガルでの、奇跡のおかげだなと思う。

 

漫画とか小説とかあるけど。

 

自分がたどって来ているものは

 

そういうものより

奇だと今は思えるし。

 

全部全部、偶然とかじゃない。

必然だった。

 

だから私がファドを歌っている。

 

 

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ポルトガル大衆音楽ファドを歌い、南国の熱いキューバダンスを踊る。ラテン界のチャレンジャーMACHAKOからの皆様への声とココロとカラダに役立つ情報をお届けしています!

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ABOUTこの記事をかいた人

asaimasako

MACHAKO(浅井雅子)です。ポルトガルの大衆音楽ファド(FADO)を歌っています。 行動力と溢れ出るパワーで生きています。フラメンコ・サンバ・サルサも大好きです。ギターとパーカッション命。好奇心いっぱいに生きてます。