私は30代の初めから、毎年3月末に
キューバに行っていたので、桜の花を🌸
見ることが10年間無かった。
しかし40になって日本に居ても
桜を見ようといそいそ出かけたりしなかった。
夜月が綺麗に出ていても
ゆっくりと眺めていたことはないし
虫の鳴き声を聴いて
ああーーーー秋だなあと深く感じることも
全くなかった。
実際はあったかもしれないけど
「思い出に残っていない」のだ。
忙しいと書いて
心を亡くすとは本当によく言ったものだ。
技術がついてダンスを教えることも
歌を歌うこともイベントを組むことも海外で
交流をするのも上手くなってきたとは思う。
けれども
ずうっとずうっと
私が欲しかったものって
そういうものだったんだろうか?
実は
自然を確かに感じ取ったり
また翌年になったら去年のその季節ごとの気持ちや出来事を
思い出したりしながら
自分自身の季節感あるサウダーデを感じたかったように今は思う。
今、ここ2年間はそれができていて
ああ、去年の今頃こうだったな
一昨年はこんなことをしたな
こんな花を見たな、虫の
そういう言葉を言える今は、
とても心が幸せだと思えている。
足りているという言葉が
ようやく自分にも似合う時がある。
ガツガツして生きてきたし
今でもそういう時もすごくある。
けれど大事なことは
私が楽しいお笑い系だけじゃない
私が持ってるのは元気だけじゃない
私がいつでも明るいだけじゃない
私が常になんでもリードとっているだけじゃない
裏の裏を知って、認めて、与えて
「足りていくこと」が自分を大事に
していける一歩だと感じられる。
足りていくことを共に感じてくれて
私が足りることを喜んでくれるような
今の環境がある。
ありがとう。
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