集団でも、一対一でも、友人関係でも、
恋愛関係でも、なんでもそうだと思うのですが、
対する人に
この人楽しいなあ。
楽しませて欲しい。
って気持ちで交流して
実際楽しませてもらったなあー。
で一人で満足しているうちは
その人は、ずうっとそのままです。と言う話です。
お金を払って何かを見に行ったり
確実な対価を得られることと違って。
プライベートの世界で
相手が楽しいから、
これをしてくれるから、
優しいから、
自分の為になるから、、、、云々。
あると思うけど。
受けてるだけだと相手は、いつかいなくなっちゃうよ?
というかんじです。
たとえいたとしても
おそらく満足をしていないと思います。
そんな聖人みたいな人がどこにいるのかって話です。
もちろん、世の中にはサービス精神旺盛な人もいます!
笑ってくれたら幸せ!って思ったり
人の為になることが生きがい!
みたいなね。
でも
そういう人であったって
自分がもっと楽しめることがしたい、って影で間違いなく!思っているし
自分にないものを相手から、受けたいのです。
今回のテーマはなかなか難しいけれど要は、やっぱり
与え合えて刺激しあえている関係しか
お互いにとってプラスな、いいことは純粋に起きないし
一緒にいてもどちらかが不満を感じ始めて
いつか関係性は終わるなあって、わたしは、思うのです。
続けていける基準は
「相手が楽しそうであること」だけです。
相手が物足りなさそうな場合、自分は、やってないことがあるか
もしくは、「やってるつもり」なことが相手には響いてないか。
究極
合わないのです。
この人といると楽しいなあは大事だけど
自分といるとこの人は楽しそうだなあ。
と思えて初めて自分に本当の充実感があるし、
その感情こそが本当に尊敬しているということだし。
お互いのバランスが取れ始めるのでしょう。
自分が楽しそうなのみてるのが楽しいのですね?
と聞いて
うんと
「答えあえられる」ようなわかりやすいギブアンドギブです。
一方的な想いから脱出するには
自分自身が楽しめる事をきっちり相手に見えて
あの顔を引き出したいと自然に思いあえて
自分が「先に」それを提供することにほかなりません。
いつも楽しい思いを与えてくれている人が
元気がない時には
無理せず寄り添えますか?
楽しいだけではなくて、
楽しくない時も一緒にいられますか?
楽しいは言葉通りに、だけではないと本当に思います。
ああ、元気がない時も
一緒にいれてよかった。
それが自分にとって負担でなく
嬉しい。楽しい。むしろそういうことが必要。
になるのは何故なのか。
決して無理してそうすることがいいのではなく
どうして自然にそうなっていくのかな。
ありがたいなって気分でいられるのは
どうしてなのかな。
いつもいつも当然なんかはなくて
必ず、思ってそうなっているということ。
今日の話題には、これって答えもないし
自分も、できてると思っていません。
でもなんとなく
それが当然、みたいなことが目につくことも生きててあったので
書いてみました。
当然に感じてると
どこかに行っちゃうよ。
それが当然なんです。
応えあえる対人関係でいたいし
相手にとって何が喜びかを知って
無理なくできる人が合ってるということです。
無理があるなら、考えていく。のが
自分の人生なんだし
人生が無駄にならない方法かな。
この話に答えは難しいけど、
自分がいなくなる方の立場になった時に、わかることで、
いなくなられていることが続いても気がつかないのかもしらないから
すごく難しいと思うのです。
何が原因かを教えたって居なくなられる方は
それまで気がつかないんだから、
言ったってすぐに気がつかない。
本当に難題ですね。
さあ、どう取り掛かりますか?
★今日のチャレンジ★
相手にとって楽しいって究極、自分自身が楽しんでいることなんだけど
それだけでもダメなんだよ。
じゃあ、何をしてあげて何をしないであげたらいいのでしょうね。
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