負けず嫌いな私 その1

前回のブログで紹介したこの曲

 

最初のキューバは1999年のとき

買って帰ったCDにこの曲が入っていて

帰国して体を壊して寝込んでいたんですが(下痢やその他もろもろ1週間i以上ね・・・・・・)

 

毎日布団でこれを聴きまくって、

結果この曲が、大好きになりました。

最初から全部聞いて繰り返し聞いて

全部覚えてメロを歌えるようになったので、

色々あったキューバでの出来事はもう忘れ、

今から頑張ろうと、

この曲を使って初めての振り付けを自分で作って

10人の女性だけのチームで

キューバンサルサダンスフェスティバルに翌年出演しました。

 

女性の半分は男装をして、

 

私は男性役が当時できませんでしたが

振り付けしながら自分で考えて作って、

すべて女性だけでしかも全員がサルサ初めてだったけど

2曲、

これともう一曲を合計で10分踊るという暴挙をし(そんなチームはほかになかった)

 

サルサイントラデビューを無理やりしました。

 

当時、男性のイントラしかキューバンサルサのペアダンスを教えていなかった時代です。

でも私は曲が好きだったし、どうしてもこの曲でデビューしたかったんでしょうね。

メンバーをかき集めて口説いて

La Bonitaというチームを結成しました。

 

我々の女性だけの踊りを見て、しかもそれがRUEDAという男女が変わるサルサスタイル(習ったことはない)

「なんだか、女だけでかわいそうになった」という感想を出したインストラクターがどうやらいると耳にしました。

 

私はその時

「今に見ていなさい~~~」

と腹の底からメラメラ燃え滾る思いで、思ったことを今でも覚えています。

絶対に情熱ではわたしは負けないと、その時思いました。

 

そしてそのときその感想を言った人は

その後教えることを結局やめました。

 

当時わたしは、本当に何もしらなかったし、

ペアダンスも全然踊れませんでしたが、

最初のキューバで尊敬する女性イントラに出会い

彼女が

「あなたはサルサの先生になれる」と断言したので

それを素直にそのまま信じていました。

 

そしてこんなチャレンジャーな私に付き合ってくれた9人のメンバーを今でも

忘れたことはありません。

 

とにかく私はこの曲をはじから全部暗譜して暗記していたので

思い入れがものすごく深かったです。

 

その後、そのメンバーでこの曲で

テレビにもでました笑

 

ウッチャンナンチャンのウリナリという番組です。

 

これは懐かしい話でも自慢でもなんでもないんです。

 

言いたいことは

 

一曲全部覚えて思い入れがあるってだけで

私は

サルサイントラになったし

テレビにも出ましたよ。

 

ということ。

 

この曲が大好きすぎてそこまで行きました。

 

当時、なんにもできなかった私でも、そこまでたったの1年で出来たんですからね~

この一曲の持つパワーってのは本当にあるんですよ。

 

まずは信じてやってみる。

 

キューバで出会ったたった一人の素敵な女性イントラの予言通り

私は、そうして指導者になっていったのですから。

 

こうして書くと、情熱だけでやってきたわけで、

実力はこの時伴ってなかったことを認めます。

 

けれど、出演したメンバーは誰一人後悔はしていなかったし、

やり切った感。誰にも頼らず作った作品に

愛情を持てていました。

 

私はこの経験がなかったら

その後活動していたかどうかはわかりません。

 

その後、9回キューバに通って、

サルサ以外のダンスも学ぶようになりました。

もともとは

サルサ以外のキューバダンスに興味があったので、

結局その方向性に向かったということですが、

 

この一曲がなかったら

と思うと、本当に運命の一曲だったと思います!

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

asaimasako

MACHAKO(浅井雅子)です。ポルトガルの大衆音楽ファド(FADO)を歌っています。 行動力と溢れ出るパワーで生きています。フラメンコ・サンバ・サルサも大好きです。ギターとパーカッション命。好奇心いっぱいに生きてます。