ファドに出会って沸点に出会ったのは、間違いなく2009年です。
二度目のリスボンですね。
この沸点に出会ったことで、私の
日本での私のファドの考え方がまったく変わりました。
常識を超えた発声力。
圧倒的な存在感。
他を寄せ付けない個性。
そんなファド歌手にいろいろと出会ったからです。
特に現在のファドの女帝、レニータジェンティルとの出会いは
私の根底をそのままそっくりと覆したといっていいでしょう。
ファドってきれいごとでは済まされないんだなと。
身を持って知れた二度目のリスボンで
私は決意をします。
あと3年は日本で修行して、ライブで曲を
最低でも25曲は歌えるようになろうって。
私、本当に頑張りました。
ある時は、一か月のうちに15日間ライブしたこともあったくらいですよ(笑
今考えても恐ろしいのですが、
2009年から2012年までの間、
私は狂ったようにライブをしまくりました。
なんだか、ファドの鬼が住み着いたかのようでした。
そして2012年
三度目のリスボンに降り立ち、
初日、歌いに行きまして
さらに叩きのめされたのです。
あんなにやってきたのに、さらに私の声よりも
ずうっとギター4本のほうが大きいじゃないか・・・と
初日から己の声の小ささに愕然とした私は
これではいけない。
と
新たな行動に出ます。
そう、
あのレニータジェンティルに
会いにいくのです。
そして、彼女から
「このお店 faiaで歌えるファド歌手になることを目標にしなさい」と
その日、叱咤激励を受けます。
私はそれから
本当に自分を変えていったんだと思います。
なんでもそうですが、
その道のトップの人のいうことを信じてひたすらにやることです。
信じたら必ず道が開けるのです。
2012年のリスボン最終日
私はあこがれているレニータの目の前で
レニータの持ち歌である
闘牛場の悲しき午後(Tarde Triste No Campo Pequeno)を
o faia で歌うという大舞台を踏むことになったのです。
2009年までの
声を痛めていたよわっちい私は、そこにはもういませんでした。
レニータが歌えと言ってくれたんだという自信が
私を支えていたからです。
私はファドの沸点を目指す旅に新たに
出たのです。
しかしこのファドの沸点こそが、
日本で普通に平和に生活していたんじゃ
決して届かない魔物だと知ります。
魔物なんです。
普通じゃダメです。
どうやって超えていけばいいのか・・・・・・・
2012、2013、と考え続けた私に
一つの光が見えることがありました。
コメントを残す