あなたはピカピカと輝いている人が好きですか?
私の好みを言うと
実はピカピカ輝いている人について
ちょびっと偏見を持ってるタイプです。
ずうっとダンスやって音楽やって来ていますが
どうも、主役級の方々をタイプだとか好きとは思えない自分がどこかにいます。
真ん中で輝いているタイプを羨ましいと思うわけでもなくて← 負け惜しみじゃないよ
どっちかといえば、目立たないけどいなくちゃ困る。という位置の人に強く惹かれます。
真ん中の大輪のピカピカの華というよりも
端っこや後ろで影の色が濃いいぶし銀の存在みたいな。
つまり
立ち位置によって
輝きの色が
ピカピカ
と
キラリッと一瞬
と
じわりじわり発光が深く強くなって行く←これが好き
って違うだけなんだなって最近感じてます。
よく人から
存在感がある←でかいってこと⁉️
目立つ←派手ってこと?声がでかいってこと?
行動的で活動的で羨ましい← 本人としては落ち着いた部分も欲しいんです❗️
などなど、
いわゆるどっちかといえば
主役になりたいのよーーーーー。的な人に映ってしまっているわたしのようですが
その通りです(笑)
とはいえ私にも美学がありまして。
それは、
なんだか面白い
なんだか普通じゃない
なんだかやってくれそう
と言う底辺が
全てをうまく支えていることがどんなにピカピカでも必要だとかんがえてます。
こんな私から見て
主役級の人がだいたい頭の中でなに考えてるかがわかるのもあり。。。
それゆえ、縁の下の力持ち、だとか
端っこの重鎮的なーーバックで支えるって言うのかな。
そう言う人こそ
素敵でカッコいい、、、、惚れる、、、と心から思ってしまいます。
キラキラ輝いている人はなにを心に持ってるかわかります。
多くは裏側にとてつもない不安を抱えています。それを打ち消したくて
パーーーっと自らが華やいでいるのです。
でも陰で支えている人はちょっと違います。
不安はありません。
むしろそこにいることに自信と意義を感じて己の務めを全うする立場です。
必要のないことはしない。
無理はしない。頼まれたら気分良くやってあげたい
それが周りの安心感につながっています。
真ん中の人は多少どころか散々に無理をしても、さらに
もっと輝きたいと自分のために無理を重ねます。
うまいシステムで前と後ろは需要と供給で関われるんですね。
しかし最近気がつきました。
片方ではなく両方生きる方法があるよ、と。
それは音楽やダンスの世界。
時に前に
ずうっと前に
ずうっと後ろに
時に後ろに
などなど。
音楽やダンスにおいて、
ほかの表現活動もそうでしょうけど
その立場が似合う人というのは存在してて
自分がそこに自然と配置されているなら良いのですが
あんまり気が乗らないけど
こっちならできるかな
とか。
目立ちたくないのに真ん中かあ、とか
自分自身が迷って自信を持てずにいると
そのどちらの輝きも難しくなってしまいます。
逆に、受け入れることができると
輝きを出せるようにもなります。
ようは
迷って立ち位置に行くなということなんでしょう。
あなたがどちらのタイプであっても
実はちょっと考え方を変えれば、反対の立場になることも時には可能です。、
それをやらないでモヤモヤしている人が世の中に多そうです。
また嫉妬やライバル視ーそんなちょっともったいない状況を
自分から生んで、
その状況から抜け出しにくくなっていき
自分の可能性が発揮できないところに行ってしまう人もいるので
とても要注意だなと思います。
これについては実体験からも感じたり、
そう言う心が強くて自滅してしまう人も見てきたので、本当に注意して行くべきだと思います。
どちらの位置に
居心地良さと自由を感じますか?
また今は馴染まず負担も感じているけれど、
やり遂げたいと心から願ってますか?
今、その位置に立ってみて、
やるぞーーーって気持ちがふつふつ湧いてきたと言うなら
きっとやり切れる心の合図です。
迷ってるなら頼まれても、やめたほうが良いです。
迷っている人の出している光ほど
中途半端で黄色い注意信号に見えてしまうからです。
決めるのは自分です。
ああだけど私はおしゃべりで
時にうるさくて
落ち着きもなくて
元気がよすぎる。
それでもピカピカどころか
ギラギラしてるのに
支えてくれているのはやっぱり
ジワリジワリな方々だと最近は実感が激しいです。
これを当たり前と思わずに
自分の役割を全うし
ペースを崩さずに担当部分を深めて
ジワリジワリの方々に感謝をお返ししていけたら、と
日々願っています。
★今日のチャレンジ
自分の立場を振り返り、支えてくれている多くの音楽、ダンスの方々にお礼をしたいです。
少なくとも今から10年前は気づいてなかった、わがままな女性だったと思います。
それが変われたのは、変わらず見守る方々の存在と気づくことができた。
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