振り付けをなぞるのではなく、人生をなぞるように踊るということ 〜フラメンコルネッサンス 21 新人公演vol.27を見て〜

振り付けをなぞるのではなく、人生をなぞるように踊るということ

〜フラメンコルネッサンス 21  新人公演vol.27を見て〜

今年のフラメンコ協会主催の新人公演、
初日と2日目の今日、を見てきました。

この公演を私の習っている島崎リノさんが奨励賞をとった
2010年から見始めています。
まだまだ若輩者のフラメンコ練習生のわたくしですが

このブログは自由に赤裸々に感想を語りますよ。

実をいうと、
わたしにとってフラメンコは
キューバのルンバコルンビアという
踊りと同じ感覚の踊りです。

フラメンコを知らないキューバダンス好きに
ヒターノの踊りをYouTubeで見せようものなら皆さん
「ルンバコルンビアに似てる!」と口を揃えます。

歴史的にもスペイン人がキューバを支配しました。
キューバの現在のルンバの中に
フラメンコの音が加わって融合しているものもあるし、
その踊りの動き自体にそっくりなものもあったりします。
フラメンコのルンバとキューバのサルサもとっても似ています。

本来は男性の踊りであるルンバコルンビアを女性で、日本で
舞台でも踊った経験から、同じ魂をフラメンコにわたしはいつも感じています。

故郷を持たないジプシーと
国で捕らえられ、強引にキューバに奴隷として送られた西アフリカの方々。

フラメンコとルンバコルンビアは
その民族の生き方、魂の叫びです。
自分が生きている証みたいなものの昇華です。

それを私たち日本人が踊るというこの不思議。

しかし今年もまた、様々に大きなドラマがありました。

今まで金曜日に見に行ったことがなかったわたしですが、
初日の皆様に感じる緊張感や、たくさんのソロの後の
群舞への流れ、とってもドキドキ全編楽しみました。

本番ならではの想像し得ないことが起きる現実。

様々に起こる現場模様。それを乗り越えて
さらに大きく踊り手が自ら皮を破っていく様子をつぶさに感じられる臨場感。

あの広い中野zeroホールが
「見ていて狭いと感じる瞬間がある方」は、
本当に全身で己のフラメンコを表現しているというように
大きな空間から真っ向に見て感じ取れます。

衣装も個性を演出する素晴らしいものだとしみじみ思います。
踊りはいいけれど何か衣装とマッチングしていない場合は残念に感じますし、
衣装のイメージと踊りが一致している方は、見ていて表現の
一体感が迫ってきて素晴らしいです。

またバックの方々との息という部分も
本番にはわかりやすく出ており、

2日目の今日、私が感じたことで一番の感動は

「スペイン人のバックに全く負けていない日本人魂があるバックの方々の熱気」を
感じたことです。

カンテ練習生でもあるわたしにとって
スペイン人のカンテはもう別物という意識がきっとずっとこれからも
抜けることはないのですが

今日2日目のいくつかの踊りのバックで

「うっわーーー超えてるーーーーすごいすごい」って言う迫力のものがありましたのは

今後へのさらなる希望といいますか、、、、、

我ら日本人もどんどん進化してすごいんだ。と言う感動でした。

また、バイレでは

「踊りきったラストに、
これぞフラメンコ!という感動を与えてくれる方」

「出てきた瞬間から場を一体化して魅了するパワーのある方」

「途中から目が離せないぞと言うオーラをじわじわ噴出する方」

「誰にも真似し得ない、独自の感性、今後も
出てこないだろうと思わせる個性の方々」

などなど

とにかく

上手い下手もあるにはあるでしょうが

「己の生き方をなぞっている方々の踊り」は
「振り付けを忠実になぞっている踊り」と比べられないくらいに

感動以外の何者でもありませんでした。
小さな所作や、

そこにいる存在感から全てが出てしまっています。

逆に、
「ああ、そうかーこう言う振り付けなんだーーー」って
見てる方が冷静に観察眼になってしまうような場合は、、、、

明らかに踊り終わった後、

拍手が少なくて、かなり残酷です。

それくらいに結果が見えてしまう。
全くフラメンコって
恐ろしい芸術だなと感じました。


個々の感想は上げれないのですが、

我らがリノクラスの面々は個性が際立ち、
フラメンコの楽しみが観客にストレートに伝わり、
見ている方々に一瞬の清涼感と
場の空気がガラッと変わる力が出演者全員に
間違いなくありました。

この「見ている方々に一瞬の清涼感」
と言うところは、本当に大事な取り組みであるとわたしは
全体の流れからも感じているところです。

演出は本編の踊りだけではありません。
出てきて去るまでが自分の人生のようなもの。

描き方は千差万別
お客はその踊り手の人生を感じ取ることができます。。。。

その航路が見える、感じられると

オレーーと言いたくなるし、その証に涙が出てしまいます。


ああ

最後にどうしてもこの人のことだけは書きたい。

本日の とある全てがボリュームにあふれた
ひとりのバイラオーラ。。。。

本当に彼女の魂が大きな会場にこだまして叫んでいる
その足の一つ一つの重み。

どうしようもない感情の行方。

フラメンコでしか出せない緊迫した時間。

こうでしかいられないと言う叫び。

最後まで息をつけない爆発力。

赤いバラの衝撃度。

もう、久しぶりに心が踊ったし

彼女と一緒に舞台に上がって叫んでいるかのような感覚が
客席にありました。

終わった瞬間にみなさんからこぼれ出てしまった
オレーー、、、、、

作られていないオレーーには
たしかになにかが宿っていると言う感じが味わえました。

あんなにも迫力あるものが見れて
今日はマチャコは、大満足でございます。
このオレーーは本物。

フラメンコって、
できるできない以前に、
自分自身が
「フラメンコを受け入れられるのか?」が
問われているんだと思います。

才能がどんなにあったとしても、です。

そこの開花のポイントは様々でしょう。

難しいとだけ考えれば、
受け入れがたいものであるし

追求が自然に続いていく位置に来れば
受け入れているものでしょう。うまくかけないけど


やりたいなら、
何がどうだって、やってしまうものでしか
芸能なんて、ないのだから。

 

けれど常に、
自分自身が問われていて、
答えを導き出していく人生航路の
ようなもの、、、、

と、今日もフラメンコ自体には、感じました。

自らの人生の航路を踊りで舞台に描いているんです。。。。

私も、

今後も地道に経験を重ねて
成長して、歌と踊りにさらに、
楽しみながら生き続けていたいと思います!

皆様、本当に感動をありがとうございました。

お疲れ様でした!

 

 

 

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

asaimasako

MACHAKO(浅井雅子)です。ポルトガルの大衆音楽ファド(FADO)を歌っています。 行動力と溢れ出るパワーで生きています。フラメンコ・サンバ・サルサも大好きです。ギターとパーカッション命。好奇心いっぱいに生きてます。