永六輔さんの答えを読んで。

「好きな人に告白する言葉を教えて」小6・女子の質問に対する永六輔の回答が刺さる

http://corobuzz.com/archives/72170

 

これを読んで深く納得したあと

私の大好きな歌について考えた。

 

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大好きな歌について考えるとき
さっきリンクした
永六輔さんの小学生の女の子に書いているようなことを
とても大切に考える自分がいます。

「些細な感動のシーンの積み重ね」

それが大事な人や、
大事な歌との関係性をつくる
ということです。。。。

一人で感動することは案外たやすい。

私などはほんと、
毎日まいにち、それはいろいろに感動していられますが、

じゃあ。

「他人と一緒に感動することの大きさ」を考えたとき。

自分の心は、

「誰かと一緒に感動をしたくて歌を届けている」
と答えます。

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か~~~~~なり昔のことですが
ある人が

「良い風景とか良い絵とか・・・・
そういうものに一緒に見たりして感動できたらいい。
感動できないものもある。何が違うんだろう」

と言ったことがあって。

そのときは、本当にさらりと流してしまった。

それは自分にとって

今起きていないこと
(良い風景もよい絵もそのとき一緒に見ていない)
だったから。

今起きている、こと。

それは
話せるとか
会えるとか、
触れ合えるとか
その人を好きであるとか

今あるそういうこと。

そういうことに若い私は注目してた。

けれど、
何年もたって今は違うなぁと思うのです。

そのときの思い出で大切に覚えているのは、

ほんの1曲を一緒に車の中で聞いて
同時にその人と感動したこと。

名前もしらないブラジルの音楽だったと思う。

その曲について
「ああいい音楽だね」って一瞬で二人で共有した短い時間のこと。

そのときの

一致したときの

空気とか、
ため息とか。
満足感。

やっぱりそれって
小さなことに間違いないのだけど
自分ひとりで聞いて感動したのとは
全く違いました。

そして今の私は
「そんなことを深く大事に思っている」
「そんなことを大切に思い出としてしまってる」

ということ。

そういう深い小さな共有を今の歌手になった私は

「歌を歌うことで聴いている人に伝えたいと思える」
ということ。

そしてそういう空気は、

私一人では作れないし。

やっぱり共有したいと思ってる人や
もちろん一緒にやってる演奏者や
人々が集まって丁寧に作り上げられたり、

またはふいに神様から、

「ギフトのようにそんな時間を突然に」

もらえたり。

やっぱり、感動ってどんなに小さくてもいいから

好きな相手や大事な人といっぱい共有したいし
持ち続けたいな、と。

だって絶対に手に入れたくても買えないし。
自分にぴったりくる感覚というのは、
そうそう探しても簡単にはどこにも見つからない。

だからこそ。

「そういう経験は絶対にずうっと忘れないから」こそ。

自分が歌うときに

本当の底辺の力になっています。

伝えるということは
どんなことであっても

力が必要。

その底辺の力はきっとこういう些細な感動の
積み重ねの経験だと思う。

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ポルトガル大衆音楽ファドを歌い、南国の熱いキューバダンスを踊る。ラテン界のチャレンジャーMACHAKOからの皆様への声とココロとカラダに役立つ情報をお届けしています!

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ABOUTこの記事をかいた人

asaimasako

MACHAKO(浅井雅子)です。ポルトガルの大衆音楽ファド(FADO)を歌っています。 行動力と溢れ出るパワーで生きています。フラメンコ・サンバ・サルサも大好きです。ギターとパーカッション命。好奇心いっぱいに生きてます。