ファドに日本語を混ぜるということについて

先日、歌において言語が違う楽曲を日本語に置き換えることについて集まった方々が話していたので、

今日はそれをブログの題材にします。

私もファドライブでは数曲を日本語交じりの歌詞にしているのですが、私のライブにおいてはおおむねそれは好評です。

もちろん言わずに「本当は嫌だな」と思っていらっしゃる方がいるかもしれません。

でも、その場での空気が損なわれるような悪影響がいままでないですし、

終わってからの感想などには

「日本語の曲が入ることで、意味がストレートに伝わってきてよかった。」

というものが多いです。

アレンジなども変えているので、より合うように作り上げていきました。

このストレートに伝わってくるということ自体が、

好みの分かれる部分なのかもしれないですし、

ファド自体がポルトガル語なので、

わざわざなんで日本語にするのかの理由に

歌い手が

「日本語でないと歌えないから」という事情などがあった場合は、たしかにそれはご都合主義かもなあと私も考えます。

やはり原語がある音楽は、まずそこから始めていくというのが

とても大事だと思うためです。ただし最初から日本語でやりたいという場合もあると思うので、その場合は自分で歌詞を訳していくことは最低限でもしたほうが良いと思います。(人の訳した歌詞を歌うのはまったくもって、何も自分で考えていないからです)

 

わたしは私の日本語で歌うファドの部分は、自分で歌詞を書いています。

なぜなら

自分が一番伝えたい日本語で言葉を選びたいからです。

最小限で短く伝わる言葉を選ぶので、歌うとき自然と感情も乗りますし、日本で歌うことに決して無理を感じてはいません。

そしてもう何度歌ったかわからないくらいに回数を重ねて歌が作られていくようになってくると

それがもう、自然になってきました。

 

私の答えとしては

自然に歌えるのならやってもよい。に落ち着きました。

またリスナーの方のなかには、やっぱり日本語で聞きたいかたもいらっしゃいます。

たった一人ではなかったり、そのような方々のほうが断然多いという場合は、

 

むしろ日本語のファドは、

持っていないとならないものです。

 

そんな感じで柔軟に柔軟に自分自身がいつでも歌える状態にしておくことが大事なのではないかと思います。

 

海外の方が日本語の歌を母国語にしていることも多いでしょう?

その国の人はその国の言語で聞きたいと思う場合はそれは

日本だけじゃなくて、多々あるということです。

 

歌う場合だけじゃなくて弾く側にもそのあたりの

境界線があるから難しいですよね。

 

そこは常に

例えばファドという音楽そのものを自分でどう考えているかということになりますね。

 

アマリアロドリゲスは、ファド歌手としてあんなに有名でしたが、

各国にコンサートに行くたびに、その国の言語でその国の音楽を歌いあげたそうです。

彼女の著書の中に

「ファドは3曲も歌うとみんな慣れてしまう」

という言葉があります。彼女自身が悩み

いかにお客様に満足してもらうかということを考えたからです。

考えていないならずうっとファドを歌えばいいのです。

 

あくまでのリスナー目線で、全員が100点を挙げるのは難しいことかもしれませんが、

そのライブの意味を考えた中で日本語のファドを入れることに

私はまったく躊躇はありません。

 

本国と同じにやっても日本ではいろいろなものが違いすぎて

それこそなじまないからですね。

 

この同じようにしてもなじまないということに関しては

また改めて書こうと思います。

 

 

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ポルトガル大衆音楽ファドを歌い、南国の熱いキューバダンスを踊る。ラテン界のチャレンジャーMACHAKOこと、浅井雅子の日常をサウダーデいっぱいでお届けいたします。 長年にわたるキューバ・ポルトガル・スペイン滞在中の面白エピソードも満載です。皆様、是非ともこのメルマガでパワーチャージしてくださいね!

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asaimasako

MACHAKO(浅井雅子)です。ポルトガルの大衆音楽ファド(FADO)を歌っています。 行動力と溢れ出るパワーで生きています。フラメンコ・サンバ・サルサも大好きです。ギターとパーカッション命。好奇心いっぱいに生きてます。