どんな時に安心しますか?
人それぞれにいろいろな答えがありそうです。
でも絶対的な安心感がある場所を持っていることは
「宝物」だと思いますね。
私にもいろいろな場所があります。
例えば、私は歌手ですから歌っていて、このフレーズがくるととっても楽に気持ちよくうたえるから
安心感しかない、、、なんていうとても幸せなものもあります。バックのギターさんと一緒に
そういうフレーズを気持ちよく乗り越えるとき、高揚感とともに絶対的安心が確実にありますよ。
また私は踊り手でもあるので、
聞きなれたラテン曲を自由な振り付けやステップで気ままに踊るときも開放感があって
安心感もあります。
高揚や解放といった気分も
安心感が支えていると思います。
でも実は「私自体に安心感がある」といわれることが
自分に結局は安心を与えつづけているという事実もあります。
人から「安心感ある人だね」って言われてはじめて
自分自身に安心感があるから人にも安心感が与えられていると気が付くわけです。
安心したい、
落ち着きたい、
癒されたい、
なになにしたいしたいしたいと外側に求めてばかりのときは
そんな風にいわれたこともなかった気がします。
でも、なぜにか、自分が安定している感情でいるときは、
相手や周りに安心感を自然と与えていますよね。
そして安定感がある人や、そんな場にいくと自然と安定感を吸収して
自分にもよい影響があります。
そんな与えたり与えられたりの繰り返しがきっと精神的にもいいんでしょうね。
人の笑顔を見ていて、あ~~~なにか安心感がある顔だなあって
思うときがあります。
そういう時に、人間のもってる底知れぬ力を感じます。
笑顔でいられる仲間や相手、お互いが微笑みあえる関係。
自分の心が安定する大事な大事なものだと思います。
安定感をあると、ものごとはなぜにか疑うことなくうまくいき始めたりもします。
不思議ですね。
昨日から続いていますが頑張る、じゃあないんだなと心で感じているわけです。
頑張れるために必要なものは
安心感、だったり、癒しだったり、ほほえみだったりね。
視点が変わると物事が違ってみえてきます。
先に自分自身で安心感、癒し、ほほえみを持つ人になっていたら
いいわけですね。
安心感っていうことばは、本当に良い言葉だと思いませんか?
ずうっとそれがある人でもいたいものです。
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