うまくいかないことは辞めることにしました。

私はこの年になってようやくわかったことがあります。

「うまくいかないことを頑張るのをやめて

うまくいってることをそのぶん頑張るほうがずうっといい」ということ。

 

当たり前のことだと思うけど、

実は「全然できなかった」のです、わたし。

 

今から考えたら

「どうしてその時、そうだったんだろう」とか

「何にもならないことをなぜ続けたんだろう」と

しみじみと思うんだけど、

 

本当に全然できなかったなぁって。。。

 

それで失ったものをここにあげるとしたら

「時間」

「年を取ることで、失う能力」

「自己肯定感」

「自信」

「夢」

「希望」

 

ほかにも書きたくない!っておもうほど、

人生においてとっても大事なことを、

うまくいかないことをずうっと続けてしまって、いろいろなものを

いっぱい失ってしまいました。

 

忘れたくても忘れられないくらい、

いや、忘れてはならないのでしょうね。

うん。

私は、これをきっとそうならないように人に伝えるためにこの経験をしたのだと思います。

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まずはじめに、

なぜ?

なぜ人ってうまくいかないことに関して

「執着してしまう」のでしょうね。

 

天に与えられた使命と思うのでしょうか?

私に乗り越えられないわけがないと思うのでしょうか?

これこそがチャレンジだと信じてしまうのでしょうか?

 

私はこの3つ、全部そうだと思って

そのうまくいかないことをすごく一生懸命に頑張ってしまいました(泣)

 

本当にバカで本当に身の程知らず

本当にその時に戻れるのならやり直したい(いや、やり直すのではなく

や==めたって思い切って投げだせばよかった)

 

ひとえに私という人間がどうしようもないくらい真面目な人間なんだなって

しみじみしてしまいます・・・・・・・・

 

今ね、私が考えてることが何かっていうと

残りの人生は、もうそろそろ

 

「あんまり真面目なんてやめようかな」って思ってます。

できるかぎり、楽しいことを追及して生きていきたいとだけ思ってます。

 

得意なこと、好きなこと、うまくいってること

私自身が使命を感じること。

「もうそれだけをやり切って生きていきたいな」って心から思います。

 

そうか、、、、心から思うためにこの経験をしたのでしょうね。

いつまでも生きていられる保証もないし、

いつまでもこの健康があるとも限りません。

 

人はいつか死んでしまい肉体もなくなります。

だから

そうなる前に、やっぱり後悔はしたくないんですよね。

このことにもようやく気が付いたようです。

 

とにかくうまくいくことっていうのに集中して生きていたらもっと違った気がするのです。

 

じゃあどうしてそうできなかったのか。

それは一つの理由です。

つまりは、決意できなかったのですね。

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いつかうまくいくんじゃないか、なんてないんです。

 

うまくいくのなら、それを信じられる状態でいなくてはなりません。

 

信じられないのに、信じようとしてその状態を続けるのは

間違っています。

 

心から疑うことなどなく

「わたしならできるもん」って子供が、これ僕ならやれる~~~~って思うように

いられたことなら絶対に成功していたんですよ。

 

わたしにとってうまくいかなかったことですが、

どういう種類のことかというと、

私一人のことではないことです。

 

自分ひとりでなんとかなるならやりきっただろうし、

自分ひとりでなんとかできないならやめたはず。

 

私以外の方々もおそらく同じです。

 

自分でできないって思うなら、やめますよね。

いつかは。

 

でも人がかかわっている、一人のことではない

 

だから、やめることがなかなかできないんです。

 

今そこに気が付いてみて本当に思う。

 

うまくいくことは、そうそう時間がかからないって。

 

私からしたらファドを歌い込んで歌い込んで、

あっという間に10年です。

 

それを時間がかかったとは全く思っていません。

 

外国の音楽、言葉も違う

聴いたことのない音楽、

マイクを使わず声を通さねばならない、

歌詞の意味をいろいろと理解せねばならない

ましてやライブでこれを日本でやりつづけなければならない

 

でもね。これ、

絶対にちゃんとやれば徐々に克服していけるんですよ。

完ぺきではなくってもです。

 

少しずつ少しずつ成果も見えるし、自分自身で

頑張って結果が出たら心からうれしいし、

 

なにより、

合わないからファドをたとえやめたって

 

仕方がない、とも言えます。(わたしは辞めなかったけど)

 

ね、こういうことって、10年かかったところで、

まったく時間かかったなんて感じませんし、

 

なぜなら色々あったけど

 

楽しかったなあって感じながら私はファドに取り組んでいたから

 

それにファドをすごく好きで、どんどん愛していったから。

 

だからさまざまな悩んだことさえもいとおしく思うんです。

 

このように続けて価値があるものって

 

だんだん愛していける物事でしかないんだなって今はわかります。

 

イチロー選手が

「野球を愛したことでしょうかね」といったあれですね。(感動しました)

 

口に出して

 

私はこれを愛したから、続けられた。

私はこれを愛し続けたらこうなった。

私はこれを愛するために生まれたと感じる。

 

など言えること。

 

これは本物だし、

これは

たとえ

 

どれだけうまくいかない時間が続いても

または、最終的にあきらめても

失敗しても逃げても、、、

 

どんなことになっても

愛している愛してきたという経過があれば、

 

あきらめるときも、すぱっと思い切り終えて、次に向かうことができるんだと思えます。

 

それが私はできなかったようです。

 

今日は暗いブログですが、心配はしないでくださいね。

 

なぜなら私は多くを失った代わりに

大事なものを得ました。

 

それは

歌が本当に好きだとわかったこと。

 

そして

大きく今しったこと

 

ごく普通にあるべきものがなかったことが

ここまで自分を辛くさせていた事実を誰も教えてはくれなかったから

こうなってしまったということ。

 

もうね。

誰も教えてなんてくれなかったというこの事実は

私の精神をぼっこぼこに殴りつけていきました。

 

おかげでほんとうにほんとうに私は、強くなれたけど。

 

自分で決めることでよかったんですね。

私にとって大事なものは人にとって大事じゃないかもしれないけど

 

私はすごくそれが大事なんだよ!って今なら言いたいです。

 

でも言えずに飲み込んで飲み込んで

ファドを歌い続けてしまった。

 

今のわたしは、

うまくいってることにすごく注目しています。

 

そういうことって確実に

すこしずつ成長が見えていることだから、

 

成長は確実に自信につながっているから

 

成長は自分を認められるから

 

成長はほんのちょっとであっても

 

成功に間違いないから。

 

ほんのちょっとの成功っていうのは

 

本当に本当に価値があることです。

 

もしあなたが今チャレンジしていることがあって

辞め時は

「うまくいかない、つまらない」というときであり

 

辞めちゃならないのは

「うまくいってる、なんだかおもしろい」

「うまくいかない、だけどわくわくしている」

 

「なんだかおもしろいし、わくわくする」

 

のほうに注目したらいいのです。

 

心のなかで

 

そう思えば

 

うまくいきそうもないしつまらない想像ができているものに

構ってる暇がないよね。

 

うまくいかないそのことは、

 

実は、

環境を変えてしまえば

「すっごく簡単だったりする」ということも

とうとうようやく気が付いたことで

 

失った時間をとことん惜しんだりもした。

 

けれどどんなに気持ちを量っても

 

やっぱりファドを歌い続けたことで

救われたことが真実でしかないという答えにしか

なりません。

 

だから私は、これからもファド歌いでいるのだと

自分を信じられるのです。

 

 

 

 

 

 

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ポルトガル大衆音楽ファドを歌い、南国の熱いキューバダンスを踊る。ラテン界のチャレンジャーMACHAKOからの皆様への声とココロとカラダに役立つ情報をお届けしています!

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ABOUTこの記事をかいた人

asaimasako

MACHAKO(浅井雅子)です。ポルトガルの大衆音楽ファド(FADO)を歌っています。 行動力と溢れ出るパワーで生きています。フラメンコ・サンバ・サルサも大好きです。ギターとパーカッション命。好奇心いっぱいに生きてます。