勇気を持って一段一段こころの階段を登ろう。

よく、スピードが命という言葉がありますよね。

この言葉はほんとに当たってると思います。

着手したらとにかく行動量で成果を出す。

ビジネスや、勉強(ある意味ね)などは、本当に

そういった部分がありますね。

ががが=====っとやることで、

行動することが当たり前になっていく部分ありますよね。

 

それは例えば、ですがたんたんと続けるっていったって

その量が人並外れたことを淡々とやっていたら

それはもうすごいことなんですよ、ほんと。

そういうときって階段を二段飛ばしでがんがん上に行けるんです。

 

私も20,30代の時は、本当にそうやって行動量を増やして

たんたんと大量に物事を成功させてきたことが多いです。

 

やるだけでどんどん成果が面白いように表れるんですよ。

 

でも・・・・・・・・・

年齢を重ねて、失敗も経験していくと、

階段を一段一段登りながら

途中で振り返ったり、一段戻ったりして

積み上げていった物事を最近経験して。

 

その、とてつもなく確実な正確な

積みかさねに、

 

やっぱりこれだなあと思わざるを得ないこともある。

 

それは、人間関係です。

 

一気に仲良くなったり

気があったりして、

とんとんと進むのもいいと思います。

でも破綻も早いです。

 

逆に、相手のことを考えたり

思いやりを持っていたら

やっぱり、急に進まないのが人間関係の実情なんじゃないかと

最近は思います。

言いたいことも最初は言えないんだと思います。

 

でも

そしてそうやって構築したものには

ある一種の境界線への守りがあり、

 

踏み込まずにいたこと、

また

なんとかして踏み込んでいったことで開けたこと

などが絡み合いながら時を重ねて

本音が時々、垣間見えて

その本音はその人だから言えたのだというどこか特別な気持ち。

 

とんとんというのとは

まったく真逆で。

 

すごく確実な階段を一段一段登った軌跡を感じたのです。

 

真ん中の手すりをお互いにしっかりと確認しながら

 

これでいいかな

これでいいよね

 

間違っていたなら引き返そう

 

それもいいよね

また昇ればいいよね

手すりがあるから大丈夫。

 

手すりというのはお互いが信じている

お互いへの気持ちです。

そんな繰り返しを何度も何度も。

 

決して

「とんとんといかない」からこその

確信と、信頼。

 

今の私にはそれはそれはとっても大事なもの。

 

自分の守ってきたものというのは

ある意味、自分を守るための盾のようなもので、

他人には踏み込ませない領域です。

 

けれどいつまでも見せずにいれば一人で安心ですけど

安心だけじゃなくて、いつまでも孤独のままです。

 

その孤独なんだけどの安心を少しだけ打ち明けて、

 

この人なら打ち明けられるんだという自分で決めた

自分の決意で心を開く。

 

それは怖いことでもあるし

もしかしたら安心ではなくなるかもしれない

 

けれど

そこで信用していけるのは何があるかなのか。

何が育ったからなのか。

 

そこに答えがあるのですね。

 

その答えには

 

自分にとってものすごく大切な気持ちが含まれています。

 

自分を開くということは

自分の心の安心を手放しても得たい、

相手への感情に

踏み込むための自身の行う勇気なのだと思います。

 

勇気を持てたとき。

その勇気をくれた人に

私は感謝をし、

心を開きます。

そして

感謝とともに

またチャレンジを続けたいと心に決めるのです。

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

asaimasako

MACHAKO(浅井雅子)です。ポルトガルの大衆音楽ファド(FADO)を歌っています。 行動力と溢れ出るパワーで生きています。フラメンコ・サンバ・サルサも大好きです。ギターとパーカッション命。好奇心いっぱいに生きてます。